Sri Lanka 2012.7.28 – 2012.8.2 ……. Geoffey Bawa 

 

2012.7.28
ジェフリー・バワの建築とインテリアを見るために、家具でお世話になっている藤岡さんと、初めての海外旅行の高3の駿太朗との男3人旅に出ました。東京・成田 13:20発 コロンボ・パンダラナーヤカ 19:10着 (時差3時間30分)で、9時間のフライトの後、そのままホテルに向かいました。

ニコンボ : ジェットウィング ラグーン ホテル 2012
2012年の5月にオープンしたばかりのホテルです。
ジェフリーバワが最初にプロデュースしたホテルで、ずっと廃屋のようになっていたのを改装したものです。

     

 

先ず驚くのが、ホテルのフロントが外にあります。そこでチェックインをして、プールの周囲を歩くようにコテージの部屋に入ります。次に驚くのが、部屋に入るとバス・トイレなどが外にあることです。完全なるコートハウスのホテルですね。興奮しながらも、遅い夕食に向かうと、ここも外・・・ 海の音を聞きながら夕食をすませ、お風呂に入り、今夜は早めに寝ることにしました。このプランにはかなり驚きましたね・・・ 今回4つのホテルに泊まりましたが、一番好きなプランです。

2012.7.29
朝5時に起床・・・ プールの周囲を散歩しながら、乾いた空気がとても心地いいですね。

   

     

朝8時・・・ ジェットウィング ラグーン ホテルを出発して、世界遺産のダンブッラ石窟寺院に向かいました。
旅のお供は、シンハラ人のガイドのニハルさんと運転手のヤナガさんです。

 いつも陽気なニハルさん。    かなり運転がうまいヤナガさんと、旅の車ハイエース。

とにかくスリランカはほとんど信号が無く、追い越しが普通に行われ、ホントよく事故をしないな・・・ と思うほどです。途中に釣りをしている人達を見つけ、車を止めてしばしの見学をしながら、「仏教徒は釣りをしちゃだめじゃないのですか?」と聞けば、「彼らはキリスト教徒だから大丈夫。」と言われました。人口の割合からスリランカは、仏教が70%、キリスト・イスラム・ヒンズー教がそれぞれ10%ぐらいの仏教国ですが、ニハルさん曰く、「スリランカが釈迦の教えを一番しっかりと信じ守る仏教国なんです。」と言われました。だからこれだけ危ない走りをしても、誰も怒ったりしない・・・ 怒りは罪を作るとの教えを守っているのですね。

 

途中で釣りを見たり、果物を食べたりと、スリランカの現地の雰囲気も知ることが出来ました。

ダンブッラ 石窟寺院 1991年世界遺産登録 
ここでは皆裸足になり、お参りをします。写真撮影は大丈夫ですが、お尻を仏像に向けて写真を撮るのは禁止をされていて、かなり気を使いながらの撮影です。
洞窟一体で掘られた石の涅槃像、釈迦が悟りを開いたブッタガヤから枝分かれして大きくなった菩提樹など2100年前に作られました。ホント、歴史を感じますね。

    

 

黄金遺跡を後にして、今回一番見たかった、へリンス カンダラマ ホテルへと向かいました。

ダンブッラ : へリンス カンダラマ ホテル 1994 世界遺産
このホテルは時の流れとともに緑に埋もれるように設計されたホテルです。
僕自身がバワを知ったきっかけになったホテルでもありますね。

細い土の道を走り、大きな森のなかにあるたった一つのホテル・・・ バワはこのホテルを作る時、この環境を壊さないように岩や緑を残して作りました。後3年でこのホテルは完全に緑に包まれ、その姿を隠すようです。周囲に何もないので、ホテルで軽いマッサージをしてもらい、猿と一緒にしばらくプールでのんびりと過ごしました。今夜の夕食は暗闇の中、ワインでしばらく時を過ごしました。こんな建築があったのか・・・ 今夜は藤岡さんとダブルベッド・・・ ぐっすり眠れました。

2012.7.30

今日も朝5時に起床して、周囲を散歩しました。

    

 

ホント朝焼けが美しいです。
ずっと先まで、残したい風景です・・・。

     

    

バワのお気に入りのアーテースト、ラキ・セナナヤキの作品が目を引きます。バワ建築は、こうした芸術とインテリアの融合も勉強になりますね。
心残りはありながら、朝食を食べて次の目的地シーギリア・ロックへと向かいました。

古代都市 シーギリア 1982年世界遺産登録 
森の中に、そびえたつ大きな岩の塊・・・ 1500年前にこの岩の頂上に王様が住んでいたと言われてます。
それにしても、自然の作るものはすごい!

     

  

途中にスズメハチの大群が襲ってきて、一番上まで登るのを断念しました。崖の途中で何人かが刺されてましたが、これは元々王様が敵から身を守るために、スズメハチを仕掛けたそうです。「こんな観光地なのに、どうして退治しないの?」と聞けば、「仏教精神から虫を殺してはいけない。」との回答でした。ここまで徹底するか・・・。
このまま次のホテルに向かう予定でしたが、ルートを変更をして釈迦の歯が祭ってある、スリランカの聖地・キャンディに寄ることにしました。

 

途中で寄ったロウの染物のお店と、お昼ご飯はミャンマー人達と一緒でした。

聖地 キャンディ 仏歯寺 1988年世界遺産登録 

     

     

仏教徒であるシンハラ人にとって、仏陀の歯を安置する仏歯寺の存在は、何といっても民族最高の象徴らしいです。すごい人が参拝に来てましたね。特に今日は年に一度のペラヘラ祭の日でもありました。この日は、この釈迦の歯の仏舎利をゾウに乗せて町を歩くそうです。これは、すごいことなんですね・・・。

かなり寄り道をしたので、ここからホテルまで4時間の道のりをかなり飛ばして向かいました。
狭い道を、飛ばして、抜かして・・・ 何度ぶつかりそうになったか・・・ 後部座席でシートベルトをちゃんとしようと思ったのは今回が初めてです。
かなりぐったりしながら、3日目のホテル、ザ・ブルー ウォーターに着きました。皆さん、お疲れ様でした・・・。

ワッドゥワ : ザ ブルー ウォーター ホテル 1998
このホテルは、バワの手がけた最後のホテルですね。

    

2012.7.31

今日もまたまた、朝5時に起床・・・ インド洋が目の前に広がってました。
波の音が響きますね・・・。

     

    

フレックスホルムの椅子かな・・・。

朝食を食べて、朝の誰もいないプールを3人で泳ぎ次の目的地に向かいます。

         

 

今日はバワの理想がつまったルヌガンガ・・・ その途中にある、バワのホテルを見学しました。

ベントタ : ベントタ ビーチ ホテル 1969
スリランカ最初のツーリストホテルにして、バワの初期の代表建築です。
玄関ホールからフロントに向かい、そこにあるパティオが最高です。
こんな中庭が作れたら・・・ 自分が探していた理想の空間です。

     

    

いよいよ、バワの最高傑作のルヌガンガへ・・・。

ベントタ : ルヌガンガ 1948-1998

1919年、バワはコロンボの裕福な家庭に生まれました。彼はシンハラ人ではなくヨーロッパの血を引く上流階級で、イギリスのケンブリッチ大学を卒業後弁護士となりますが、1946年にスリランカに戻り、その後1年半に及び世界周遊の旅に出て見分を広げました。そして帰国後、自分の理想郷を造ろうとベントダに土地を買い「ルヌガンガ」の造園に着手します。しかしながら、自分の建築の知識のなさにつまずいて、再びイギリスに戻り建築を学びました。そしてバワが本格的に建築を始めたのは1957年、38歳になってからであります。このルヌガンガはバワが最初に手掛けた理想郷であり、彼の最高傑作と言われてます。庭園内にある見晴らしのよい丘の木の下に、バワの遺骨が静かに眠ってました・・・。

いよいよ門を開けて頂き、中に入ります

     

  この椅子に座り、バワは建築を考えたと言われてます・・・

  僕も座らさせて頂きました。

バワの好きな色は、白と黒・・・ 床が特徴的ですね。

     

    

 

昼食はバワのお気に入りの小高い丘で、スリランカのカレーを頂きました。
  

基本的に、スリランカはカレーが中心ですが、日本の味とはかなり違いますね。
これを手で混ぜながら、右手で食べるのが一般的な食べ方です。

ホント、貴重な体験をすることが出来ました。
ルヌガンガと、明日行くバワの自邸NO11は、住宅建築を志す人には、ホント見て欲しい素晴らしい場所だと思います。
「また、来ますね・・・。」と挨拶をして、最後のホテル、へリンス アフンガッラと向かいました。

アンフガッラ : ヘリタンス アンフガッラ ホテル 1981
コロニアルテイストのリゾートホテル。
フロントの向こうには、インド洋が広がります。

 

ホテルに着くと、「アーユボーワン」 (あなたが幸せでありますように。)と、迎えてくれました・・・ この言葉は、手を合わせ日々の挨拶に使われてます。

        

       

      本を読む坊主・・・ 僕は先に爆睡です。

2012.8.1

最終日の朝・・・ 4時に起きてインド洋を散歩して、誰もいない朝のプールで泳ぎました。

     

  

お面を売るお店に寄って、ライトハウスホテルを見学しました。

  

幸せを呼ぶ魔よけのお面・・・ 一つ一つ手作りです。

ゴール : ジェットウィング ライト ハウス ホテル 1997 世界遺産
インド洋に面する素晴らしいホテルです。
夕日に照らされると、ホテルそのものが切ない黄金色に輝きます。

     

 

     

 

ゴール フォート付近を少し見て、バワの自邸NO11へと向かいます。

  

イスラム教建築と、スリーウィーラー(三輪車のタクシー:乗りたかったが運転が怖いかも。)

  

コロンボ : NO・11 自邸 1958-
袋小路の4件長屋の奥にひっそりとありました。
30年の間に、改築、増築を繰り返して今の形になってます。
光と風を感じることの出来るコートハウスです・・・ 心が震えましたね。

    

     

玄関に入るとバワの愛車のロールスロイスがありました。その奥にトップライトから光が入る場所にベンチが置いてあり、車庫の中の玄関です。
その奥の白い廊下を歩くと、ここにも中庭があります。回廊のように曲がった廊下歩くと、その奥にリビングが見えて来ました。
先ず、ここのリビングが外の空間であることに驚きますね。そして、その左を向くとずっと見たかった部屋がありました。

   

キリスト教であるメキシコにあるバラガンの自邸に憧れながらも、このバワの自邸はそこに釈迦が配置されていることに、実は精神的にはまったく違う空間であることを表していると思います。
建築に限らず形を作り出す過程の中で、そこに表面的なデザインでは無く、心の中から生まれた・・・ そんな力を感じることが出来る空間でした。

     

     

     

     

多くの建築を見て来ましたが、心に残る建築の一つになりました。
インテリアや空間の構成など、今後のGAの建築にも生かしたいと思います。
最後は、バワの作った仏教寺院へと向かいました。

コロンボ : シーマ マラカヤ寺院 1978
ベライ湖の上に建つ仏教寺院です。

格子から入る光が美しいですね。

     

  

今日はポヤ・デー(満月の夜)なので、仏教徒の皆がお参りに来ます。
釈迦が生まれた時、悟りを開いた時、亡くなった時・・・ 全て満月であったと言われてます。
この日は仕事も休みですし、お酒も飲むことが出来ません。
日本にもこんな休日が欲しいですね。

  

       

  

コロンボ : パラダイス ロード ザ ギャラリー カフェ 1963
最後の夕食は、ギャラリーカフェ・・・ 美しいの一言です。

こんなカフェ、岐阜にもできないかな・・・。

   ・・・

ここでカメラの電池切れました。

夕食を食べて、夜9時空港に向かいました。
コロンボの町ではホテルが建設されてて、この国も観光都市へと変わっていくのかと思います。
また、近いうちに、もっとバワの建築を知るために来たいと思える、そんな旅でした。

2012.8.2

お昼11時・・・ 9時間のフライトで成田に帰ってきました。

 シーギリア・ロックにて・・・ 藤岡さん、本当にありがとうございました。

バラバラと写真を載せて、すみません。
少しでも旅の参考になれば幸いです。
貴重な時間を頂き、本当にありがとうございました。